「水色の時」という朝ドラ

五輪閉会式に大竹しのぶが登場したというニュースをSNSで見る。それでふと大竹しのぶのテレビデビュー作は朝ドラ「水色の時」だったはずだと思って、wikipediaで調べる。1975年4月~10月始めまでの作品。75年という年が自分にとってどんな年だったか思い出す。家庭用ビデオがまだ普及していない時代だったので、学校時代に朝ドラをすべて見ることはできない。通学時間帯に住宅街のあちこちから朝ドラのテーマ曲が聞こえてくる時代である。

大竹しのぶのテレビデビュー作は民放の作品だったらしい。これもwikipediaで知る。

私はこのドラマのあらすじも詳細も覚えていないのだが、wikipediaのsynopsisの記述からうっすらと松本の話し、主人公が医者になろうとする話しだったっけ・・ということだけは認識していた。このドラマで印象が残っているのは香川京子で、大竹しのぶも若々しくてチャーミングなのだが、ドラマをチラッと見た時、「香川京子はきれいな人だな」と思った記憶がある。香川京子は1931年生まれだから、1975年のこの作品では44~45歳だろうか。映画の人だから代表作は映画になるのだが、テレビで見た時に、この人は違う・・と思わせるだけの俳優さんだったのだと思う。

この作品はビデオがほとんど残っていないようだ。惜しいことである。脚本は石森史郎だった。テーマ曲がいかにもNHKの朝ドラという感じの曲だった。NHKアーカイブズで少しだけ残された映像を配信している。わずかな映像記録から、やはり日本が消費社会へ大きく変貌する直前の地方都市の雰囲気をよく描いている。主人公の家の玄関とか台所とか、道を走ってくるバスとか。登場人物のまじめな感じとか・・。

75年が自分にとってどんな年だったのか、ブログで書くほどのことはないけれども、不調の年、暗転へ向かう年だったことは確かである。この時代をもう少し穏やかに越えることができたら、もっと佳い人生になったかも知れない。出会う人たちの組み合わせもよくなくて、非常につらかった。こういう人生の時を過ごすのは嫌だ、二度とこのような時間は過ごしたくないと思うほどだった。自分の本来の気持ちが前へ進む活動とかみ合わない時間で、ともかくつらかった。この時間をどれだけ耐えればよいのか、どのように耐えればよいのか、あらかじめわかっていればよかったが、当事者というか、その場にいる人間として、不調の時間はずっと続くように見えるもので、非常に暗い気持ちで過ごしていた。割り切って自分のなかにこもる時間という風に過ごせれば、まだ希望はあったかも知れない。だが、それがわからないのが、その時であったのだ。

 

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