鯱が転げ落ちる城

名古屋市が酷いことになっているようだ。

digital.asahi.com

記事を読んで唖然とする。

討論会で差別主義者の発言を野放しにしたらしい。

名古屋城天守閣の復元はそんなに大事なのかわからないけれども、市長はこれにこだわっているらしい。他に優先順位の高い政策はないのだろうか。

討論会における差別発言については、市長は"一部は「よう聞こえなかった」"と説明している。"「自由に言ってもらうのが前提で、広い気持ちで考えるのが普通ではないですか」"ー差別発言容認ともとれる発言が記事になっている。市長だけでなく”市の担当者は差別発言があったことを認めた上で、「個人の勢いで言われたことで、制止することはしなかった。今後の運営の課題としては受け止める」と話した。”ということで、市長に同調していた模様。

天守をめぐっては、2018年5月に河村たかし市長が「本物性がなくなる」としてEV不設置を表明し、代替となる技術を公募すると発表した。

とのことだが、「本物性」とは何だろうか。天守閣復元について、電気系統や防火設備なども「本物性」の論理で取り付けないのかも知れない。天守閣については現代の技術であるガラス窓もつけないということかも知れない。17世紀の築城した際の城がそのまま残っているならば、EVをつけないという判断はあり得るけれども、復元は復元で本物ではない。本物ではないけれども、本物性を求めるということらしいが、この「性」は何だろうな・・と思う。名古屋市の側で何か定義しているのかも知れない。消防法は守るけれども、バリアフリーの法律は守らんでよ・・という論理があるとすれば、守る法律と守らない法律の違いはどうやって区別しているのだろうか。そしてそれは行政としてどうなのか、名古屋市の職員さんたちは多少は議論しているだろうか。

差別発言を野放しにしたところに、いまの名古屋市政の腐敗が見える。討論者から"「エレベーターは誰がメンテナンスするの。どの税金でメンテナンスするの。その税金はもったいないと思うけどね。"という発言があったと記事は伝えているが、名古屋城の入場料は何に使われるのだろうか。こんな感じであれば、無理に復元しなくてよいのではと思う。現在の名古屋城で十分観光資源になっているはずである。

尾張名古屋は城でもつ」そうだが、「我慢せいよ」という差別論者が跋扈する名古屋そのものがもたないなぁ・・と思うのだ。「尾張名古屋はもたない」ので城の天守閣復元も無理にしなくてよい。名古屋と名古屋地方、鯱以前、そもそもヒトがダメになっているな・・と思う。

若者がコンビニにホームレスの女性を置き去りにしてからかう動画は名古屋だった。回転寿司の迷惑行為は岐阜だったようだが、名古屋地方である。名古屋と名古屋地方、荒んでいるのはなぜか・・と思う。

個人の意見としては、天守閣復元は中止してよいと思うなぁ。いまの名古屋城で十分観光資源になっているだろう。