ほんとうに決定版なのか?

小林信彦『決定版日本の喜劇人』(新潮社)が届いたので、拾い読み。最初に読んだのは新潮文庫に収められた『日本の喜劇人』『喜劇人に花束を』だった。横山やすし渥美清の評伝も同文庫に収められていて、一通り読んだ。中原弓彦名義・晶文社刊行の初版が1970年代だったことを思えば、新潮文庫になって読んだ私は遅い読者の1人である。

新潮文庫版の印象からいうと、決定版の構成はすっきりしない。複数の著書を合わせ、改訂を重ね、かつ決定版のための加筆・修正があるようで、論及としては必要な要素はすべて組み込み正確な記述かも知れないが、文章の一貫性というかあのわかりやすさが削がれているような気がした。著者のエッセイと評論の構成の佳さ・見通しの佳さというのは美点だったが、これを犠牲にしてでも書き切るということだったのかも知れない。すごい本であることは確かである。

喜劇人の系譜の最後に大泉洋が登場する。なるほど、著者はそこへ眼がいく人なのかと思った。テレビや映画を見ていて、私の印象では、大泉洋=俳優として演技ができる萩本欽一みたい・・という感触はあったので、そうか・・そうなるのかと思いながら読む。著者が更に本書を書き継ぐことがあれば、著者の文春のコラムの書きぶりからし貫地谷しほり星野源が出てきてもおかしくない。

この国で「喜劇人」という概念がどこまで生き延びるのかわからない。英語ではたぶんコメディアンという語がそれなのだろうが、芸人さんたちがテレビやネット配信でしていることが著者のいうような意味で「喜劇人」とどう繋がるのかわからない。