明石家さんまの評価

3月に出た小林信彦『とりあえず、本音を申せば』(文藝春秋)を読む。週刊誌連載の年末の回に、エムカク『『明石家さんま』の誕生』への言及があった。

エムカクという人は、さんまが本気で好きらしく、また、さんまの師である松之助も好きらしい。私は松之助を見たのは、京都でたった一度だが、大阪流のネチネチした話術ではなく、サッパリしていた。関西流の粋というのか、舞台から消える時に「ま、ゆっくり遊んでいってください」と優しく言った。好感の持てる噺家だった。さんまが心を打たれたのがわかる気がする。

 途中で、さんまが仕事をとるか、女の子をとるかで迷い、一旦上京し、結局は仕事を選んで、大阪に帰るあたり、松之助の力がよく現れている。たまにテレビのさんまを見て、「〈精一杯やっとるな〉と思う」というこの師匠ならではの〈あまり構わない〉指導法がよくわかる。この師匠を選んだところに、出発点でのさんまが確かであったことがわかる。
 今年六十五歳のさんまは、「つねに人を笑わせているかどうかを気にしている」と言う。こんなことを言えるのは、東西の落語界で故志ん生しかいないだろう。

 著者は志ん生を引き合いに出して、松之助・さんまの師弟に敬意を表している。

エムカクさんの著書を私は読んでいないが、小林信彦さんの文章であるから、おそらく言及は正確であろう(エムカクさんのさんま評伝はいずれちゃんと読みたいと思っている)。

小林信彦さんは自分が下した評価について他者の視線による検証という概念がない人で、自分の見聞きしたものだけを吟味して文章を書くスタイルにこだわってきた。

著者の文章に優等生独特の頑迷さを感じることがあるが、時代や世相など、私が実感でわかる部分については記述は正確だと感じることが多い。芸能についてはテレビで見かけたものくらいしかわからないのだが、いまのお笑い芸人さんたちを、著者がどう見ているのかは確かに気になる。

時代の感想を書くこと、書き続けることは難しいことで、同じようなことを繰り返し書いているのは仕方がないとしても、週刊文春のコラムをまとめたこのシリーズを思い出しては少しずつ読んでいる。

評論・随想の確かさは必ずしも小説には通じないようで、この人が書く小説がいまひとつ小説としての面白さを感じないのは、故中村光夫氏の場合とよく似ている(これは悪口ではない)。持ち味というほかない。