他人の日記

公表された他人の日記を読んで面白いかと言われると、一般論としてはそれほどではないという感想になる。歴史資料として価値があることはわかっている。政治を動かす人物や何かを成し遂げた人の日記のなかに、公式の資料では得られない情報があることもわかる。古川ロッパの日記のように、ひとつの時代をつくった喜劇人の生活をのぞき見するというだけでなく、戦前戦中の世相を知る手がかりになるものもある。

武田百合子の文章は彼女の文章そのものの力で読んだ日記というべきか。時々読み返したくなる。こちらに時代の感覚が少しわかるということもあるかも知れない。

 

YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子富士日記』の4426日 (1) / 水本アキラ

YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日 (1) / 水本アキラutrecht.jp

YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子富士日記』の4426日 (2) / 水本アキラ 

YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日 (2) / 水本アキラutrecht.jp

水本アキラ氏の『富士日記』の文章に感想とコメントをつけた文庫本サイズの本が刊行されている。(1)(2)で日記の1966年分までだ。富士日記武田泰淳の死去まで続くので、まだまだこれは続くらしい。感想とコメントという言い方でよいのか、同時代の他の文章、あるいは日記の時代を回想した文章、著者の思い出などを貼り合わせていく不思議な文章である。これはこれで楽しめる。(1)を読んだ時は、これはどうなのだろう・・と思ったが、(2)からは、まぁこういう文章なんだろうな・・と思いながらつきあう。

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こういう文章を読むと、『犬が星見た』をもう一度読み返したくなる。あのソ連への旅は自分が経験したわけではないのに、旅行記に登場する人々のことを「思い出したく」なる。単行本刊行年は1979年。武田泰淳・百合子夫妻、竹内好の3人の旅は1969年(昭和44年)6月10日~7月4日までだったようだ。まだソ連崩壊は想像できない頃である。東側の国々を旅することは難しいだろうと思っていた。そもそも海外旅行もいまよりもずっと贅沢品だった。もちろん五木寛之のようにモスクワや北欧を彷徨する文章を書く作家もいた。ふつうの生活をしながら、いわゆるソ連以外の東欧諸国の都市に行ってみたいとか、アウシュビッツの見学をしておきたい、できればソ連国内を、シベリア鉄道か何かで旅ができたら、あるいはサントペテルスブルクのエルミタージュを見られたら・・などと考えていたが、なかなかその機会は訪れないだろうとも感じていた。

年齢や体力を考えると、シベリア鉄道は無理かも知れないが、エルミタージュは見ておきたいという気分はある。しかし、果たせずにいる。コロナ禍が終息して、それでもこちらに元気があれば・・であろう。東側諸国の都市は少しだけ観光(と仕事)で訪れることができた。念願だったアウシュビッツ・ビルケナウも数年前一応見ることができた。欧州とロシアを見ておきたいという気持ちは、コロナ禍で海外への旅は困難だが、少し残っている。

それからふと思い出して書き足しておくのだが、作家の庄司薫は日記をつけているようだが、これはいずれ公表されたりするのだろうか。もし公表されるなら、歴史資料としての価値がすぐに出てくるかも知れない。公表されたとして、庄司薫日記を読む機会はあるのかどうか。そもそも出版業が作家の日記を刊行するほど余力があり経営的に恵まれているかどうかを思うと、自分が庄司薫日記を読む機会はないかも知れない。