異次元からの便り

newsdig.tbs.co.jp

「異次元の親ばか」

集合写真の不自然さに、ほんとうに親族の集まりだったのだろうかという疑問は湧いた。

tweetの発言の真偽はともかく、ちょっと不自然と思った人たちは、ほかにもいるようだ。

いずれにしても、集合写真の1人1人を特定すれば、ほんとうに親族の集まりだったかわかる。ほんとうはきっちり調べて、実際に親族だったのか検証してほしいと思っている。マスコミはそういう仕事をしないだろうから、いずれにしても写真に映った人たちは安泰。やりたい放題の人たちがまかり通る図式である。これがいまの日本である。

こうした異次元からの便りを見て、何も考えずに済ませているのが、この国の真の姿、シン・ニッポンである。

政治と行政が腐敗しているだけでなく、メディアも腐敗しているわけで、メディアのポジションにいれば、メディアの使命を果たさなくても、上級国民に仲間入りして、無事暮らしていけるのである。

この国は世代交代の時に、倫理観の受け渡しに失敗した。というか、敗戦時に敗戦という事実を認められなかった人たちが支配層に残ってしまい、戦争国家づくりに現在邁進中である。前の世代も自ら責任をとれない人たちだったわけで、息子・娘世代、孫世代が、自分勝手に適当なことをして、いいじゃんか・・になるのは、ある意味、当たり前かも知れない。戦争に負けて、敗戦否認を続ける国粋主義が長きにわたって生き延びて、ここまで来ているわけで、救いはない。

公明党浜四津敏子さんの訃報が2年以上公表されなかった。これについて掘り下げた記事が朝日新聞デジタルで出ていた。

digital.asahi.com

佳い記事である。こんな一節がある。

引退後の14年秋、安全保障法制制定に進む安倍晋三首相について私が尋ねると、「歴史修正主義、戦後最悪の総理」「右翼の跋扈(ばっこ)を後押しし、本当に最も国益を害している政治家ではないでしょうか」と述べた。強い言葉に驚いたが、公明党が自民とのパイプを優先して、平和主義という原点が損なわれることが心配だったのだろう。

これが公明党の本流だったが、いまはもう跡形もない。かつての「平和の党」も世代交代して変質してしまったのである。

それはそうとガソリンが高いままである。値上げラッシュ。中間層をなぐりつけるような状況が続いている。殴っているのは自民公明政権と追随する諸政党・マスコミ総掛かりで、中間層の生活者たちをボコボコに殴っているに等しい政策が続く。無党派の人たちや保身から自公や改憲勢力を支持し続ける人たちは、まさにそのことによって、自分たちの生活が追い詰められていることをどうしても認めようとしない。不思議だが、こうした図式で、改憲4党支持を続け、自分たちの生活の基盤をどんどん削られている。

ある意味見事というほかない。自虐的な有権者の力が、こうして将来の破滅につながる1つの焦点へ向かって、無批判に集中しているのが、この国の政治の姿であろう。

ところで、嫌な地震が続いている。2025年危機説を煽るSNSなどを見る。備えあれば・・と盛んに言うが、その備えとは何か。備えを何とかできても、その瞬間にはやはり慌てるだろうし、大きな地震の場合、万全の準備というわけにはいかない。2011年の経験でわかっているはずだが、理想通りには進まない。無事生き延びられるようにと願うしかない。

 

4月5月の感想をちょっと。

今期は「ペンディング・トレイン」を見ている。まだ途中までであるから、何とも言えない部分はあるが面白い。

いくつかドラマを見て、これ以外はほぼ脱落した。

ちょっと感じるのは時代が暗くなっているという感覚である。

自民党政権も勢いをなくしていくだろうと思う。政権が権力頼みとなり理屈から遠ざかっている。政権が権力頼みになるときは失敗しているということである。

国際比較の指標でどんどん負けている事実を見ておく必要はある。

明るい要素がない。

軍需産業に頼っているうちに、財界は失敗し、自民党公明党も歴史の轍から外れた政権運営のツケを支払う日が来る。

市民は巻き込まれて悲嘆に暮れることになるだろう。

現行憲法を守る気がない政党に票を入れている時点で、失敗は約束されている。ただこの失敗がこの国の失敗に結びつくだろうということ。そして歴史の流れから大きくこの国がはずれていくだろうということ。どうして間違った選択をわざわざするのかわからない。改憲は失敗への道。

世襲政治家の次世代が不祥事を繰り返している。SNSなどネットは炎上しているが、既成のマスコミは概ね沈黙し批判をしていない。デタラメを続けている首相の息子など、昔の自民党はリアリズムの政治を知っていたので切っただろうと思う。いまやおかしなことをしていても野放しである。マスコミもこれを容認。いずれ選挙区を継ぐのだろうが、(これはあかんな・・)と思いながらニュースを読む。

自民党小選挙区制に甘えている。

逆にいうと、首相の息子ほか世襲政治家の次世代は「野放しの怖さ」を知らないようである。

家柄を誇っているうちに敗戦。近衛文麿は気分転換が上手い人だったというが、政治家として日本の敗戦を引き寄せた。悲劇というよりも、因果応報だった。

「まつもtoなかい」は初回香取慎吾ゲスト回のみだった。次回予告で上沼恵美子が出てきた時点で(ああ・・これは・・)という感じに。初回のみで視聴中止。この2人でとくに見るべきものはなさそう。

さんまさんのバラエティは御殿が水準をキープしているが、向上委員会が固定メンバー的になって勢いを失っている。「芸人が出たがらない」と自虐ネタが目立つ。この荒行に出て行くためには、案外若手が芸人として力がない、つまり若手の志向は芸人は従で、タレント志向の方が勝っている、ということかも知れない。

若手の芸人さんは笑いを追求するというよりも笑いで話題になってタレントになりたいわけで、芸人として荒場をくぐりたいという気分はないのである。

ひな壇モノが力をなくしているのは、ちょっといくつか番組を見ればわかる。

タレント志向の芸人が集まれば、お笑い番組であっても笑いの要素は消えていく。

ひな壇モノだけでなく、あちこちオードリーのようなトーク番組も芸人さんの話しよりも、ゲストのタレントさんの方が面白い。

芸人さんたちは学校を出てところてん式に芸人になっているので、学校を出ました、テレビに出ました、何とかうまく行きました、誰それとは同期でした・・という話しばかりになっている。

タレントさんの方が生き残るために必死だったというトークを持ってきて、芸人グループの内輪話しを圧倒していることが多い。

つまりタレントグループの方がかなり芸人的なネタを放り込んでいる。

MCの若林さんは芸人の話しに焦点を合わせている。しかし、この番組で面白いのはたぶんタレントさんの方の話しである。

このズレはどうもこのままでこの番組は続くようだ。

テレ朝「キョコロヒー」は見ている。テレ朝で定期的に見ているのはこれだけになった。外れの回があるが、空気感は面白いので継続して見ている。

ただこれは賞味期限がありそうな気がする。飽きるという意味の賞味期限というより、作り手の方でネタ切れになるのではあるまいか。

NHKをほとんど見ていない。今年は大河を見ていないので、何とも・・。朝ドラも見ていない。NHK地震や台風のときにきちんとニュースを伝えてくれれば、それで十分である。

テレビのニュースや情報番組はほとんど見ない。自民党寄りのニュースが多すぎて見る意味がなくなった。ネット記事を拾えば十分である。ネット配信の新聞は購読しているので、そちらで足りる。新聞の論説委員がまともな論説を書かなくなっている。有識者というのか外部の人たちにオピニオンを書かせて終わりにしているようである。新聞も力がない感じがするのは、おそらくこうした傾向と関係があるはず。

この数か月でTVerの視聴よりもyoutube視聴の方へ、自分の生活が変わったことに気づく。

おそらく地上波のテレビ番組を継続的に見る習慣は減少していくだろう。

このブログでも何度か嘆いているのだが、テレビ番組そのものも見なくなっているし、もうテレビ番組について(面白くない)と書くのはこれで止めたい。

テレビには見切りをつけた。

今後、テレビ番組について、何か書くとしても、ドラマの感想、そして、ちょっとさんまさんの番組くらいか。

youtubeについて感想を書くかと言われると、とくにそこまではしないと思う。面白いことは面白いのだが、ちょっと何か感想を書くという感じのものではない。

ただし勉強になるストリームもあって、その系統のものはちょっとずつ備忘ノートをとりながら見る。

愉しみの読書は、紙の本よりもkindleで読むことが増えた。生活様式の変化というべきか、じわじわとメディアとのつきあい方が変わってしまった、という感想。

バート・バカラックがなくなり、坂本龍一がなくなり・・。

バカラックは最晩年まで曲をつくっていて、この人の曲を系統的に聞いたことがないけれども、晩年の曲も時々聞いていた。

坂本龍一については、訃報をニュースで見た後、バルセロナ五輪開会式の曲を聴いた。これが一番、なんというか自分のなかで傑作という印象だったので。

 

 

 

 

「100万回言えばよかった」の感想

TBS「100万回言えばよかった」全10話を見終わる。これはnetflixでも配信されている。

www.tbs.co.jp

今期のドラマで最後まで見たのはこれだけだった。

ドラマの放送日とドラマ内の時系列がほぼ一致するかたちで進むので、最後に何かどんでん返しのような仕掛けがあるのかと思っていたが、話しをひっくり返すための仕掛けはなく、むしろ現世で恋人となった若い2人のあいだの最後の別れの切実さを表現するための方法だったようだ。最後に井上真央が夜明けの浜辺を1人で歩いて行く姿は美しいラストシーンになっている。

ロングセラーの絵本『100万回生きたねこ』(佐野洋子)をドラマのモチーフにしている。第10話に松山ケンイチ演じる刑事がこの絵本を眺めるシーンがあって、アディショナルタイムを過ごすためにこの世に戻ってきた恋人と思い出の地へ出かけようとする女性に、帰ってきてほしいと語りかける。物語の前振りのかたちでたびたびこの絵本への言及があり、(ここで回収するのか・・、見事だな)という感想。メイン3人の関係性の積み重ねと絵本のメッセージが交わって心地よいし、ちょっと泣ける。

 

www.ehonnavi.net

ミステリ的な部分は第9話まででほぼ「解決」を与えてしまい、第10話は井上真央佐藤健松山ケンイチの3人の不思議な関係の終点を描くことに集中した。佐藤健の役の男性が殺された理由・犯人は、配役(キャスティング)から予想できる範囲だったが、退屈したり、嫌にならずに見続けたのは、メインの3人のやりとりが面白かったからである。これにシム・ウンギョン演じる研修医が係わり、狂言回し的に幽霊となった人たちが係わる。シム・ウンギョンは映画『サニー 永遠の仲間たち』『新聞記者』で見てきた俳優さん。

このドラマ、秀作というべきか、非常によくできている。ハッタリがなく、地味な作品ということになるのかも知れないが、見終わって満足している。

作品のロゴ

ドラマのタイトルのロゴを見る。

「どうする家康」のロゴは好きになれない。主役のタレントさんもあまり好きではないので、今年の大河はたぶんほとんど見ないだろうと思う。NHKの宣伝はたぶん「鎌倉殿の13人」よりプッシュしている感じがする。NHKをつけると宣伝番組が出てきてしまう。

定番の番組が多いがやはり北野武さんがテレビの画面から消えている。いつからだろうかと思うが、やはり歳相応にタレントさんは交代していく。いずれさんまさんや所さんも番組を持たなくなっていくはずだ。

バラエティは広瀬すず祭りだったようだ。ドラマと映画のプロモーションがあるからだろうか。

芸人番組は同工異曲、飽和している感じがするので、おそらくわずかな例外を除いてこれから2~3年でなくなっていくかも知れない。歌番組、巨人戦中継、トレンディドラマは飽きられてある時期に消えていった。報道・情報も民放でがんばっているのは報道特集とミヤネ屋くらいなので、いずれ放送時間が縮小されるのではあるまいか。フジテレビの情報番組が午前も夕方も不調なのは、たぶんその予兆。地上波民放全局で午前午後ずっと通販番組をやっている可能性は十分ある。

駅伝もちょっとだけ見ただけになった。一所懸命で走っている姿はよいのだが、あまり感情移入をしないようにしている。アナウンサーの実況がうるさいと思う時があって、音を消してみることもある。スポーツ実況はアナウンサーがうるさいと感じることが多い。しゃべりまくる実況を流行らせたアナウンサーが出てきて、それがスタンダードになってしまった。必要なことだけ実況するというタイプのアナウンサーはもういないのではないかと思う。ほんとうはスポーツ実況はミニマリストでやってほしいと願うが、いまのテレビではアナウンサーが(オレがオレが)で前に出てくるから無理であろう。

地上波テレビはチラッと見るだけで、配信の方でいくつか見ている。映画とドキュメンタリーと。

テレビ産業の衰退は番組にも十分出ている。映像で生活している人以外のオーディエンスは、コンテンツで面白いものを少しずつ見ていく生活になるが、テレビはその中心ではなくなっている。若い世代は驚くほどテレビを見ていない。

佐久間宣行ほかの「あたらしいテレビ2023」のなかで、クリエイターの人が映像作品を早送りで見ることを一部肯定していたので、やはりそうだよなぁと思う。作っている人たちも早送りしているのである。仕事になればなおさらだろう。

芸人さんのトーク番組でもおもしろくない話しをしている人を早送りにして次の芸人さんの話しをちょっと聞いて、それもおもしろくなければ、次に・・という風に見ることが多い。WOWOWの「トークサバイバー」はそのやり方で見た。

佐久間氏は「あたらしいテレビ」のなかで年輩のテレビ人は「テレビは衰退」と言っているが若手中堅はそう思っていないと話していた。年輩業界人は景気のよい時を知っていて、それと比べると衰退という判断が出てくるようだが、若手中堅は衰退産業になったテレビの世界へわざわざ入ってきて、作品をつくりたがっている、というのである。産業の縮小傾向というか、番組のスケールが小さくなっているのは確かで、クリエイターはそのなかで頑張っていますという話しである。

「笑ってコラえて!」の特番でアメリカ・シカゴを拠点にスタンダップ・コメディに挑んでいる日本人を特集していた。大阪大学出身というからエリートである。英語はわかりやすく、まくしたてる感じではない。上手な英語の使い方をしている人という感じ。アメリカとアメリカ人あるあるをネタにして認められつつあるようだ。たぶんこれから若者で才能がある人たちは海外に出て行くだろう。日本から外に出ることが自由になる、自由な生き方の象徴になっていくと思う。

日本から出ても、成功の確率は低いだろうが、いまのこの国では希望がないし、おかしな極右政治が蔓延るなかで順応と同調ばかり求められ、自民党支配の奴隷になるしかないような生活しかないのであれば、夢を持ち、まじめに勉強した人たちは外に出て行くだろうと思う。

90年代に、極右化と過剰同調を要求する権力に嫌気がさして外国に移住する人が出る、一種の頭脳流出が定番になる、という話しをすると、国粋主義者は「そんなことは絶対ない」と言い張ったものだが、希望のない自民党支配の国からいかにすり抜けるかは、これからこの国で生活しなければならない人々の真の望みになっていくと思う。

海外旅行のようなショートトリップさえも、自民党支配をつかの間とはいえすり抜ける手段として密かにあこがれの活動になるだろう。ともかく憲法の3原則を否定し続ける極右政治と愚民化政策はこの国を深く傷つけている。抑圧感は大きい。自分の青空は日本にはなく、海外にあると考える人たちが増えていくはずだ。

未解決事件

年末の「未解決事件」を見る。

www.nhk.or.jp松本清張帝銀事件

 第1部 ドラマ『松本清張と「小説 帝銀事件」』  

2022年12月29日(木)午後9時00分~午後10時29分 総合テレビ

第2部 ドキュメンタリー「74年目の“真相”」  

2022年12月30日(金)午後9時00分~午後9時59分 総合テレビ

 

多くは様々な文献ですでに知られていることと思われる。

アメリカ政府の資料・関係者インタビュー、警察の捜査資料、検察の資料を映像を含めて引き出した部分は新しいのかも知れない。

 

731部隊GHQの取引については以前から言われていた。ウィリアム・トリプレット『帝銀事件の真実―平沢は真犯人か?』(講談社)は1987年刊である。森村誠一悪魔の飽食』(カッパノベルス)は1981年刊、森村氏のこの本は当時大ベストセラーになった。

NHKがなぜいまこの時期に731部隊の件をとりあげたのかわからない。安倍政権以降、言論の自由がなくなっている状況が続くが、松本清張の名前に依存しつつ、日本の戦争犯罪に迫る内容であった。政権政党による言論統制にメディアが翼賛する状況のなかで、ある種のガス抜きとして例外的にこうしたドキュメントの放映が認められて、形式的に言論の自由が保証されているように見せかけるためだったのかも知れない。

憲兵Aの存在が捜査のなかで浮上し、平澤貞通にターゲットが転換していく部分は、映像でよくわかるように見せていた。

見ていれば、平澤氏は犯人ではなかった、ということであろう。戦争犯罪が隠蔽される際GHQの力があったという物語は、日本の軍国主義を牽引した支配層の罪状も相対化すると考える人もいるだろうから、NHK的にも都合がよかったのかも知れない。

昔のNHKであれば、戦後の事件などについて、新聞を引用・言及するときは朝日新聞が多かったが、最近はそうではないようである。NHKが朝日を敵視する勢力と組んだ証と見ているが、一見戦争犯罪に迫るような番組の体裁だが、現行の権力に、諸種の寸法を合わせてつくられている番組であったことが何となく感じられてくる。あまり佳い感じはしない。

NHKの権力の都合に合わせた報道姿勢を見ているうちに、NHKの報道情報番組を信用しなくなった。ニュースのなかで一般の人がインタビューされているのを見ると、人選は意図的なのではないか、もしかすると政権党に近い団体の人たちが一定数混じっているのではないか・・などと連想してしまう。家族や子どもがインタビューされている場合も同じである。言い換えると、ここ数年で驚くほどNHKのニュースをほとんど見なくなっている。受信料はとられているので、与党のプロパガンダにお金を払っているようなものかも知れない。

そういう目で今回の番組を見ていた。番組によれば、毒を飲まされて苦しむ人々に犯人は動じなかったらしい。やはりそういう光景を初めて見たら、毒の知識があっても、毒の効果に動揺するはずだ。もしこちらの推論が正しければ、動じなかったということは、何度も同種の光景を見たことがある人なのではあるまいか。そんな想像をした。

支配層、戦争犯罪の支配層は戦後ものうのうと生きた。これを見た後、罪を贖わなかった人は死後どうなるのだろう・・とういう想像もしていた。

戦前、そして新しい戦前

徹子の部屋タモリ〉大騒動!?「我が家にテレビが来た日」

https://tver.jp/episodes/ep5jv6eor0

「新しい戦前」の意味は明らかだ。戦争国家づくりを進める政府に歯止めがきかない。

戦争国家づくりが名古屋の入管、岡崎の警察署における拷問死などの事件と併行している。以前から政権の「ナチスの手口」は隠喩ではなく、そのままやろうといると見た方がよいと考えてきたが、愛知県を実験場のようにして始まっているのであろうか。

「新しい戦前」に徹子さんはとくにコメントをしなかった。番組が終わりかけだったせいもある。TVerでこの発言を見たあと筑紫哲也に長生きしてほしかったなぁと思った。マスコミが戦争国家づくりに協力する状態はやはり異常であろう。

日経は反撃能力の保有世論調査で65%賛成と報じる。反撃によって戦争がエスカレートすると正しく事前に質問で情報提供すれば、65%という数字は出ないはずだ。この意味で日経の調査は最初から世論を誘導することを目的にしていたのではあるまいか。

政権も戦争国家づくりをしたいが、マスコミも戦争に賛成なのであろう。堕落の極みである。

ソウル・オブ・ワイン

twitterの発言で、

というのがあって、たぶんその通りだろうと思う。重税国家、戦争国家への道へ進むかも知れない。不平等が広がれば、市民は荒むだろうから、これからのこの国は佳いことはないのかも知れない。

mimosafilms.com『ソウル・オブ・ワイン』という映画を先行配信で見たところ。フランス・ブルゴーニュ地方の葡萄畑とワインづくりを丹念に追ったドキュメンタリー的な映画である。

葡萄畑の世話をする人々、ワイン醸造の仕事の流れがわかり、ロマネ・コンティほかワインのなかのワインにまつわる(人々の)談話と労働の描写で、映画は淡々と進む。ワイン農家の主人は、自分が葡萄畑を所有しているという感覚ではなく、先人たちから仕事を引き継いで次に渡していくつもりで働いているという。葡萄畑を中心に自然と人々がワインの生産へ向かって結びついていく姿がまぶしい感じ。100分余りに映画だったが、配信で見たこともあって、気張らずに愉しめた。見て佳かった。先行配信はシネマ映画.comというサイトで。