終息すれば

新型コロナ感染拡大が続く中での想像だが、ほんとうにコロナが終息したら、旅行ブームになると思う。経済の打撃が大きければ、旅行どころではないかも知れないが、旅をしたい人たちは終息を心待ちにしているだろうと思う。

自民公明政権はむりやりGoToをやったけれども、こういう無駄なことはせずに、少しでもコロナ禍終息のための手堅い施策に取り組むべきだった。事業者には経済補償、個人にも経済補償をきちんとすればよかったのである。終息の見通しになれば、観光業は徐々に元気を取り戻す。いまの政権のやり方ではどうやっても出口に近づかない。首相は灯りが見えたみたいな発言をしたようだが、誰も共感しなかった。灯りも光も見えていない。自民公明政権、その露払いをするなんちゃって野党、そしてメディアが、コロナ禍を深刻にしている。

終息後、どこへ出かけて見たいか、いろいろ想像してみることはある。一日の終わり、時間ができた時に、ここへ出かけたい、乗り物はこういう列車に乗っておきたいとか・・。コロナ後の世界はその前と断絶面があるかも知れないが、ここは見ておきたい、こういう旅はしてみたい・・という想像をして、少しだけ自分を慰めている。

花を見る旅ができたら・・という風にテーマを立てて想像してみることもある。あの美術館を訪れておきたい・・という風に楽しむこともある。

いずれも終息すれば・・である。その前に自民公明政権を権力の場から削除しないと無理であれば、ささやかな日常、ささやかな喜びを回復するためにも、自民公明政権は倒さないと・・とそっと思っている。マスコミは報道統制ですっかり機能を失っているが、たぶん戦時中も国策に従う発言しか許されないなかで、人々は自由な世界をそっと想像していたに違いない。表面では権力に合わせても、望んでいないことを強いられているわけだから、皆権力を呪っていたわけだ。必勝の信念といいながら、無意識はついていかなかった。そういう状態がいまも続いている、というか、自民公明政権が戦時中のような時代をつくってしまった。権力者に合わせてモノを言っているように見えても、無意識はついていかない状態は続いている。