脱力系の勝利?

TVerダウンタウン松本人志氏のトーク番組をいくつか見たのだが、面白くない。びっくりするくらい面白くないので、途中で見るのを止めた。番組はゲスト陣が話しをして、MCとやりとりというよくある形式で進むのだが、ゲストの話しがいまひとつ、というだけでなく、MCとのやりとりも、いまひとつ・・という感想になってくるのだ。

類似の番組がたくさんあるせいかも知れない。過去の名前で持っている状態で、かつてのカリスマも勢いもなくなっている。だが大御所感だけはあるので、見ているとしんどくなってくるのである。

これは類似の番組が多いだけではないかも知れない。脱力系のトーク番組全盛時代で、ひたすら脱線と脱力へ向かう、テンションの低い番組の方が、ネットで見ていると気分に合う感じがしている。テレビ朝日深夜「キョコロヒー」のような、芸人番組ではなく、話術で勝負しているわけではない、雰囲気モノのトーク番組の方が見ていられる。時間もそんなに長くなくてよい。見る側のこちらが、だんだん長いトーク番組がしんどくなってきているのだろう。直近の回の「キョコロヒー」は感謝したい人たちにプレゼントを選ぶという買い物番組風の演出だった。おそらく対比を際立たせるためなのだろうが、アイドルの女の子(日向坂46・齊藤京子)の方が決断していくのが早く、その決断も番組の条件のなかで的確なので、面白かった。アイドルの女の子と女性芸人(ヒコロヒー)のあいだを山里亮太が取り持つように話しを回していくのだが、これも会話と会話の隙間に笑いになるような言葉を瞬間的に挟んでいくのが心地よく、すごい技だなぁ・・と感心しながら見る。ヒコロヒーも会話の隙間に、笑いにつながる言葉を挟むのがうまい人だが、今回はアイドルの女の子の「勝ち」という感じで進む。脱力系トーク番組は会話の隙間をうまく埋めて(ふふっ)と笑えるようにしていくのが特徴かも知れないが、2人の魅力がベースになっていないと成立しない。「キョコロヒー」は2人が正面から衝突しないように気を遣っているのが見えるが、ほどよい距離感を出している。

ガチのトーク番組のプロ中のプロの話しが、ゲストも含めてキャラを立てすぎて、見ているとしんどくなるのに、脱力系は見ていて気が楽である。こちらがあまりテレビに期待しなくなっているからであろうか。ダウンタウン的なパワートークは世の中が悪くなってきて、日常が救いがなくなっているせいだと思うのだが、見ていると疲れる。

とはいえ、さんま御殿のさんまさんのパワートークはだいたい最後まで見ていられるのはどうしてだろうか。理由はよくわからないのだが、おそらくMCとゲストが水平的に話しているから、であろう。さんまさんは瞬発的に自分をゲストの下に置けるのである。これは本能的にそうしているという感じ。「ビッグ3」と言いながら、自分を下に置いて話を展開できる。他人の話を奪い取って、自分の話に引き込むけれども、やはりそれも下から来る。相手からボールを奪い取るサッカー的な笑いである。

ダウンタウンの番組では、ゲストが皆ダウンタウンの2人に気を遣う。ダウンタウンが皆の上なのである。このダウンタウンがみんなより上という見えないルールはどうやっても崩せないようである。ダウンタウンの笑いは序列の笑いなのである。しかし、これはこの苦しい時代を乗り超える笑いではなくなっている。