テレビは閉じている

天然素材NHK(3)「素顔のままに」」を見た。NHKアーカイブズの変わり種的な番組の映像を見せるというもの。ビデオで残った番組という母集団の偏りがあるので、1980年代以降のものが多い。高橋圭三の料理番組がかろうじて1960年代初頭の珍しい映像。変な人が出てきて変なことを言う――その部分が面白いという切り取りで選ばれたものが主となっていた。テレビの普及で多くの人がテレビを見るようになった60年代70年代の映像は残っていないことが多いし、残っているものも断片だけだったりする。ほんとうはそのあたりの掘り起こしをした方がよいのではなかろうか。

正直言って80年代90年代の番組の粗い部分が目について、ああ、こんなものを見て面白いと思っていたのだなぁ・・と思った。

ひとつひとつの素材は仕方がない。つまり過去の番組という事実だから。しかし、そのプレゼンの仕方がいま一つ。企画製作した人は、ぶっとんだ感じで面白いと思っているのだろうと思う。たぶん民放などで企画をやっている業界の人たちが作ったのだろう。で、プレゼンの仕方、気持ち悪いアニメで見せるプレゼンがいまひとつ。企画会議でノリがよく通ったのかも知れないが、内輪ウケの感覚が見えてしまっていまひとつ。

最近のテレビの閉じ方は興味深い。テレビ東京の「あちこちオードリー」は業界人の裏話を率直に語って面白いということになっているが、メディア有名人たちの過去のふりかえりという点で、何かにチャレンジしている番組ではない。これも業界人内輪ウケを一般に見せて面白いでしょう・・とアピールしている番組である。こういう作り方、コピーライターとかテレビ企画をやっている人たちが面白いと思っている感覚が、世の中からズレてきている感じというのが残念。五輪の開会式・閉会式の演出に言えることだが、いまのテレビには普遍性に対するとりちがえのようなものがある。斜陽のテレビを象徴するような現象である。

業界でテレビをつくって来た人たちの「内輪でGo」「Go to Uchiwa」の感覚が、世の中の動きと合わなくなっているし、同時に、合わなくなっていることに気づかないまま仲間だけで「盛り上がっている」「盛り上がっている」・・と集団思考のお祭りをしている点が、(ああ、これはオカしい・・、ああ、これはヘンだ・・)という感想になって、見たあと「ぺちゃんこ感覚」が残る。終わっていくときはこういう感じかも知れない。

映画も斜陽になった頃の映画評論は仲間ボメで生き延びようとする感覚を打ち出していたが、観客の退出は防げなかった。ヤクザ映画とか戦争賛美映画、ピンクやらポルノやら、ATGやら・・いろいろやっていたが、普通の人が見て面白いと思う映画が映画館から消えて、見に行かなくなってしまった。マンガ祭りくらいだろうか。角川映画の登場で一般の人が映画館へ出かけて見に行きたいと思う映画は何かということが問われて、いわゆる映画業界の人たちが面白いと思っていることと一般の観客のズレが多少見えたのだが、それでも角川映画は宣伝するからだろ・・という見方にしがみつく業界の人たちは多かった。もう一度ズレの修正の機会があって、それが「踊る大捜査線」である。多様な映画が共存して大丈夫という感じになったのは、おそらく90年代前後からではなかろうか。

テレビでは、テレビ業界の人が面白いと思うことと、生活者が面白いと思うことのズレを埋めるのは何であろうか。視聴率だろうか、SNSでのつぶやきであろうか。ドラマは00年代あたりからそのズレは大きくなり、視聴率は下がったし、2010年代後半あたりから内容の持ち直しが見られて現在に至るが、数字はもう伸びなくなった。バラエティや情報番組も、おそらく手詰まりという感じだろう。ただチラッと見たときに閉じているな・・という印象がことごとく残る。テレビ業界に学校秀才とエリートが集まってしまって、ズレているのかも知れない。業界ではこうするという慣行を学んだ人たちが、これが面白いと思ってつくっても、一般の生活者の感覚は変わってしまっている。帝大閥とか一橋閥、慶応閥とか早稲田閥のようなものができてしまうと、だいたいの業界は成長から衰退へ向かうのかも知れない。ビジネスのサイクルだから仕方がない。同じ考え方をする先輩後輩でつるんでいるうちに、ビジネスは衰退期に入る。

情報番組で自民党総裁選を延々と流して、それでいいじゃないか・・と考えているようなテレビにつきあうのはどういう人たちだろうか。見放されつつあるというべきか、そっと多くの人がテレビから退出しているのも何となくわかるような気がする。