ドラマは持ち直しているけれども

ドラマは持ち直しているけれども、政治はでたらめだ。政治を伝えるマスコミも世間とズレてしまい、ニュースはほとんどフェイクニュースと思って見るほかないような状況続く。正気を保つのが難しい時代になりつつある。政府に対する異議申し立てをニュースにしなくなっている。皆が政府の政策に満足しているような演出をニュース番組がするようになってしまったので、もはやニュースはニュースではなく、政府広報、そしてプロパガンダになっている。

この国の経済の衰退を直視したニュースが流れない。これは自民公明政権に対して、メディアが忖度し事実を目立つように流さなくなっているということで、ある意味、八百長の報道と言えるかも知れない。巨人の衰退を思い出す。

皆が巨人を応援すれば、巨人が強いように見えるが、ほんとうにジャイアンツが強かったのは王長島の全盛期までで、V9末期は弱っていたし、V9終了後は普通のチームになっているのだが、報道の偏りで強く見えていただけだった。やがて人気選手の数人がメジャーへ移籍して本物の野球をNHKBSが中継で流すようになると、巨人神話は簡単に壊れた。巨人戦を試合がある日はすべて地上波テレビで中継していた時代を知っているのは年輩の人たちだけであろう。いまやNHKBSでプロ野球を流しているけれども、NHKに頼る以外どうにもならなくなったということではないか。日テレさえ巨人戦中継をしないのだから。

巨人の衰退がよい例で、強くないチームにメディアが肩入れして強く見せるという状況が長く続いたが、真剣勝負のメジャーの中継が見られるようになると、あっというまに地上波テレビから巨人戦中継が消えたことを思い出す。いまの自民公明政治はこれと似ているのではあるまいかと思う。いずれメッキが剥がれ落ちて、有権者から遡って罵倒される時代がくると予想している。傲慢にふるまう与党政治家の姿を見ていると、これは後で遡って非難を受けた時、申し開きも言い訳もできないだろうなぁと感じる。謙虚さや真理への畏敬がまったくないからだ。責められて当然、けなされて当たり前になる発言を「いま」彼ら彼女らはしていて、将来彼ら彼女らに向けられる恐ろしい非難のことをまったく考えていないのが何とも気の毒というほかない。自民公明政権の我が世の春は短いはずだ。

ひそひそ話しで、五輪はできないだろう・・と思っている人、身近な人との会話で、五輪中止だろうね、と話している人はけっこういる。

仮に開催しても普通であれば五輪がつくりだす感動はほとんどないかも知れない。政府御用達のメディアが誇張して報道したり、テレビのコメンテーターや芸人たちが五輪をやってよかったと大合唱する演出があるだろうが、多くの人々がしらけつつ世間につきあうフリをする、というような状態がしばらくあるだろう。福島の現状は変わらず、Covid-19で思いがけず苦境のなかにいる人たちを置き去りにして、いい気になって権力をふりまわしてよいのかどうか。よいはずがない。他人の不幸をないことにする政治が良い政治であるはずはなく、むしろ滅びるべき政治、憎むべき政治へ転化するのは時間の問題である。この後世の評価を気にせずにradioactive waterを飲めるという閣僚を見ていると歴史をかんがえないで政治をするのは危ういと感じる。

自民公明の両党が選挙で大負けして政権から完全にシャットアウトされない限り、この与党の傲慢は続くのではあるまいか。大負けするはずはないというのが彼ら彼女らの計算であろう。支持しているように見える人たちが心から支持しているかというとそうでもないという事実はじわじわと与党両党の政権の基盤、支持基盤を弱くするだろう。ある時期に大崩れして、ジャイアンツのような運命を辿る日がくるような気がしている。